鎌倉大仏と歴史資料

古文書

鎌倉大仏として広く親しまれている高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像の建立が開始されたのは1252(建長四)年ごろのことと言われています。像高約11.3m、重量約121t、金色に光り輝く(完成当初、鎌倉大仏は金箔で覆われていました)尊像の偉容は、否応なく人々の関心をひき、その姿を目にした人の心に強い印象を残したことでしょう。鎌倉の大仏に関する記述は、歴史書、紀行文、戯作など、さまざまな書物のなかに残されています。その内容も、大仏建立の経緯を伺わせる公的な記録、天災による大仏殿の倒壊や大仏像の修復に関する記述、旅の名所として大仏を紹介したものなど、多岐に渡っています。さまざまな時代の先人たちが、さまざまな視点から記した文章を通して、鎌倉大仏の履歴が浮かび上がってきます。

吾妻鏡(東鑑) 鎌倉大日記 長明道之記(東関紀行) 鎌倉物語(鎌倉名勝記) 山東遊覧志 遊歴雑記 滑稽荏乃島土産 江の島 鎌倉紀行金乃わらじ 四親草 太平記 鎌倉紀行

欧文紀行文

鎌倉大仏に関する記述は、日本だけでなく欧米の史料の中にも見られます。16世紀、ヨーロッパ諸大国の貿易圏が東アジアにまで及び、日本にも、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダなどから商人や使節が訪れるようになります。彼らが残した記録のなかには鎌倉の大仏像に関するものもあり、その大きさや造形の美しさに感銘を受けたことが綴られています。その後、鎖国体制の完成とともに途絶えた尊像と西洋人の接触は、開国を機に再開されることになります。1859(安政六)年に横浜港が開港し、外国人居留地が設けられると、自由に出歩ける範囲を居留地から40km程度に制限されていた外国人たちの間で、横浜にほど近い鎌倉は行楽地として人気を博します。多くの外国人が鎌倉大仏を訪れていたことが、彼らによる記録や写真から伺えます。

The Voyage of Captain John Saris to Japan, 1613(ジョン・セーリス) イギリス商館長日記(リチャード・コックス) Promenades Japonaises(エミール・ギメ) JAPON ILLUSTRE(by Aime Humbert)

現代文学

多くの古社・古刹や史跡が残ることで知られる古都鎌倉は、文学の街でもあります。日本に近代文学が誕生した明治期から今日まで、たくさんの作家や歌人・俳人たちが風光明媚な鎌倉を活動の場としてきました。鎌倉を舞台にした文学作品も枚挙にいとまがありません。そして、高徳院の大仏もまた、数多くの著名な文人たちに愛されてきました。和歌や俳句に、小説の一場面に、あるいは日記やエッセイの一節に、彼らそれぞれの感性によって捉えられた大仏の姿が描かれています。それらを読むことで、鎌倉大仏が、信仰の対象や貴重な文化遺産というにとどまらず、人々から広く敬愛と親しみの情を抱かれてきたことに、改めて気付かされます。

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古絵図

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