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星野立子

明治36年~昭和59年 俳人。高浜虚子の次女として東京に生まれました。東京女子大学高等学部卒業。結婚後、父虚子のすすめで句を作り始め、頭角をあらわしました。昭和5年、初の女性主宰俳誌「玉藻」を創刊、7年「ホトトギス」同人となりました。見たまま、感じたままを素直に表現する天賦の才能を発揮しました。明治43年から鎌倉に住み、結婚後は東京で暮らしましたが、昭和6年から由比ガ浜に、16年から没年まで笹目に居住しました。

大佛の冬日は山に移りけり 立子

立子と大仏句会

昭和22年11月、高浜虚子が発足させ、立子が主宰する日本銀行役員の句会でした。句会会場は主に日本銀行内でしたが、時には大仏殿で句会が開催されるということもありました。昭 和50年4月、当時すでにあった「日の友会」といっしょになり、会の名称を「日の友句会」とし、現在に至っています。最初は立子、次に高木晴子、そして現在、星野椿が指導にあたっています。