柱の芯出しのために付けたと思われる十字線の刻みがみられます。
鑿(のみ)で切り出した跡が側面にみられます。
安山岩の板状節理が側面にみられます。
1931年4月9日に来院されたプラチャーティポク国王陛下(ラーマ7世)が植樹された松です。
1902年12月27日に来院されたワチラーウット皇太子殿下(のちのラーマ6世)は、境内の一角に松の木を植樹されました。しかしながら、惜しくもその木は虫害に遭い、2009年9月、枯死に至りました。現在その場所に生える松は、2010年7月3日プミポン・アドゥンヤデート国王陛下の勅命を受け、ウィーラサック・フートラクーン駐日タイ王国特命全権大使が植樹された代替木に当たります。
1987年9月25日に来院されたワシラーロンコーン皇太子が植樹された松です。
【表】
ジャヤワルデネ前スリランカ大統領
人はただ愛によってのみ
憎しみを越えられる
人は憎しみによっては
憎しみを越えられない
法句経五
Hatred ceases not by hatred but by love
【裏】
J・R・ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑誌
この石碑は、1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコで開かれた対日講和会議で日本と日本国民に対する深い理解と慈悲心に基づく愛情を示された。スリランカ民主社会主義共和国のジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ前大統領を称えて、心からなる感謝と報恩の意を表するために建てられたものです。
ジャヤワルデネ前大統領は、この講和会議の演説に表記碑文のブッダの言葉を引用されました。そのパーリ語原文に即した経典の完訳は次の通りであります。『実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。』(『タンマパダ』5)
ジャヤワルデネ前大統領は、講和会議出席各国代表に向かって日本に対する寛容と愛情を説き、日本に対してスリランカ国(当時セイロン)は賠償請求を放棄することを宣言されました。
さらに「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要である」と強調して一部の国々の主張した日本分割案に真っ向から反対して、これを退けられたのであります。
今から40年前のことですが、当時、日本国民はこの演説に大いに励まされ、勇気づけられ、今日の平和と繁栄に連なる戦後復興の第一歩を踏み出したのです。今、除幕式の行われるこの石碑は、21世紀の日本を創り担う若い世代に贈る、慈悲と共生の理想を示す碑でもあります。この原点から新しい平和な世界が生まれ出ることを確信します。
1991年(平成3年)4月28日
ジャヤワルデネ前大統領
顕彰碑建立推進委員会
東京大学名誉教授
東方学院院長
中村 元 勤誌
参考1:高徳院取材協力冊子(PDF)
日本を救ったブッダの言葉 鎌倉大仏殿高徳院「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」に託された平和への願い
発行・文責 後藤一敏氏(東方学院研究会会員)
参考2:高徳院取材協力動画
「Speech」善語吉祥 世界が動いた ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑
制作責任:関谷巌氏
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